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Kanon Code のお手伝い〜出会ってから、さよなら編〜

こんにちは、さおり(@iropon30)です。
この記事カテゴリーでは、私が複業でお手伝いしているKanon Code
お手伝いするに至ったキッカケやお手伝いの内容プロセスをつらつら書いていこうと思います。

前回は出会い編ということで、どういうキッカケで出会ったのかを書いてみました。

前回と同じく、絶賛ランディングページのお手伝い中なので、
はよLPつくれや!って感じですね。
(一応、ワイヤーや土台はつくった!!つくったんです。)

今回は出会ってから、さよなら編ということで、
はじめて話すところから、連絡をとらなくなるところまでをつらつら書きます。

目次

はじめて話したとき

本当はきちんと覚えてないのですが、(笑)

  • サービスを作ろうと思っている
  • どういう思いでサービスをつくりたいと思ったか
  • 対価のこととか
  • 手伝ってほしいことの範囲
  • いまどういう状況なのか

とかをつらつら〜〜と話して、Slackに入れてもらった気がしますね。
対価のこととかちょっと生々しいかもなので(笑)、もし興味あればご連絡ください。

そこから、私はランディングページの改修係になります。
久保さんはデザインもできるスーパー開発マンなので、もうすでにLP案はありました。

この時に改めて「デザイナーの存在意義とは?」ということを考えました。
デザインもできる、コーディングもできる、なおかつ開発もできる。

(時間がないから頼むという理由もあるかもしれませんが、)
私がいる意味とは、サービスをつくる上で私はどういう関わり方をしたいのか…
働く意味や、デザイナーとしてどうしたいのかを考えるいいキッカケになった気がします。

改修にあたるまえに、入院した話

改修にあたって「なんでこのサービスをつくるのか」ということを、何度もMTGをお願いしました。

そのうちの1回、数カ月後に自社開発企業に内定が決まっている未経験フロントエンドの方が、
デザインも頑張りたい!とおっしゃっていたので、交えて話すことに。

そのMTG直前に、元気だけが取り柄の私が発熱し、MTGをリスケしてもらいました。

その発熱がなかなか解熱しないため、病院へ。
巷は新型コロナウイルスの話題でもちきりの頃だったので、
コロナじゃないのか?と私も周りも思っていました。

結果、コロナではなかったが、診察してもらいその日から入院することに。
(今となっては笑い話なのですが、いやー当時ははじめての入院なので焦ってました)

病名は「腎盂腎炎」
この入院で私は

  • 会社員ってすごい(社保すごい)
  • 会社員ってすごい(リカバリー環境があるのすごい)
  • 素敵な仲間、大事(久保さんも、未経験さんもとっても優しかった)
  • トイレ大事(我慢はダメ、絶対)

ということを学びました。入院したことも、今後のキャリアや働くことについて考える
いいキッカケになったと思っています。

さあ!改修するぞー!

ランディングページはもうあったので、
このままリリースしてもいいかな、というような感じでした。

退院後、未経験さんと久保さんとのMTGもしましたし、
改修にあたって、質問もいっぱいしました。

あんまり覚えていないのですが、「なんでサービスつくろうと思ったか」を
改めて、めちゃめちゃ聞きまくったと思います。

そこから自分の中で自問自答したり、
知り合いに壁打ちを手伝ってもらったりして構成を練りました。

うまく書けませんが、たぶんUXの部分を自分なりに考えてた気がします。
(ああーかっちょよく書きたいな、勉強だ、精進だ…)

デザイン修正しました!って出した時に
喜んでくださったことだけは、鮮明に覚えております。

一応、なんでこういう構成にしたか、なんでこういう内容をいれているかとかは
説明した記憶がありますが、一番喜ばれたのはグラデーションのトーンだった気がします。(笑)

この時に、こういうこと好きだなーって、こういう事を軸にしていきたいなって思った気がします。

それから、色々あったのよ

そこから、リリースに向け、久保さんやその他関わりのあるみなさんが、ガシガシ!開発してると思っていた頃、
徐々に人がいなくなり、徐々にSlackから活気がなくなっていったような気がします。

??と思いながら、本業とともに日々過ごしていました。
毎日営業さんと一緒に更新していたYouTubeも更新されなくなり、???と思っていました。

結果だけ書くと、関わっていたサービスはリリースされないまま終わりました。

サービスをつくってリリースすることの難しさとか、
大変さとかを目の当たりにしました。

何を目的に?というのが、リリースなのか、事業としてなのか、
どこにフォーカスをあてるのか、というのも大事になるなというのも学んだ気がします。

この関わりの中で、自分がどういう方向に進んでいきたいのか、
健康が大事であることとか、サービスをリリースする難しさを考えるキッカケをもらいました。

サービスがリリースされないから、解散?

サービスがリリースされないと決まると、いよいよSlackの活気も全くなくなり、
色々あったなぁーと思いながら日々過ごしていました。

このサービスの後日談だったり、関わってた人の後日談もあったりするのですが、
それは私の心の中に。

そんなこんなで、ここでいったん久保さんとの連絡は途切れます。

まとめ方がわかりませんが、次回は「新年のご挨拶とロゴ編」をお送りできればと思います。

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この記事を書いた人

インハウスデザイナーとして奮闘している昭和生まれ。日々精進・日々勉強をモットーに、制作人生を謳歌しています。いまはサービスつくってみたい!という衝動に駆られています。

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